1968年7月13日生まれ。
岐阜県出身。
大道芸人 バルーンパフォーマー。
静岡大学工学部機械工学科に進学。
在学中にワーキング・ホリデーでカナダへ。
旅行中にジャグリンと出会う。
大学を卒業後、大手建設機器メーカーに就職するも、
社長になる夢を持ち転職。
2005年に有限会社風船太郎を設立。
バルーンパフォーマーとして愛車の風船太郎号で
全国の保育園や幼稚園をまわる。
風船を使い、一瞬で子供たちの心をつかみ笑顔にするパフォーマンスは
泣いてる子供を一瞬で泣き止ませるタケモトピアノCM以上。
数ヶ月先まで予約で埋まっている
日本一多忙なバルーンパフォーマー。
バルーンショーの予約は
風船太郎さんのホームページから
前日から降り始めた雪が積もり、朝になって粉雪に変わった日だった。
朝の7時頃、電話が鳴った。
携帯電話の着信画面には風船太郎さんの文字が。
着信音が鳴り止み、留守番電話のメッセージが流れる。
「おはようございます。今日、大雪の心配をしていましたが
凍結の心配もなく予定通りの待ち合わせ時間で大丈夫です。」
留守番電話には風船太郎さんからのメッセージが残っていた。
川崎市にある幼稚園で子供たちのためにバルーンショウが行われる。
岐阜県から向かってくる車を停め、東名の休憩所あたりから
わざわざ心配して連絡下さったに違いない。
風船太郎さんから電話があったことに気づいたのは
待ち合わせ時間の1時間前であった。
電話を頂いたとき、寝ていたとは
風船太郎さんに決して言えないヨウメイであった。
風船太郎さんと最初にお会いしたのも粉雪が舞う寒い日であった。
当時、人気のテレビ番組「あらびき団」で活躍されていた風船太郎さん。
ほとんどお笑い番組を見ていなかったヨウメイは
風船太郎さんのことを知らなかったのである。
しかし、風船太郎さんのバルーンパフォーマンスを拝見した瞬間、
面白すぎて腹を抱えて笑っていた。
ゲーム番組の収録にお笑いモンスターとして召還された風船太郎さん。
出演時間が18時であったにも関わらず、
14時頃には撮影場所のあった川崎の山奥にある廃墟に車で到着された。
「おはようございます。風船太郎です。
本日は呼んで頂きましてありがとうございます。
よろしくお願いします。」
到着されると同時に元気な声が返って来た。
ハイエースから何やら大きな荷物を下ろし
待合室に向かわれた風船太郎さん。
しかし、スケジュール通りに撮影が進まなく、
風船太郎さんの収録予定時間の18時が過ぎても出番は
まだ訪れていなかった。
恐る恐る、風船太郎さんの元へ撮影が遅れていることを
伝えに行くヨウメイ。
「かなり撮影が遅れてまして、まだちょっとご出演までお時間が
かかりそうで...」
「大丈夫ですよ、僕のことは気にしないで撮影進めてください。」
「お時間が遅くなりますが、どこかにご宿泊先とった方が...」
「大丈夫です。明日も保育園でバルーンショーがありますんで
車で岐阜まで戻ります。」
「え、岐阜ですか!? 今日、岐阜から車で?」
「運転してきましたんで全然大丈夫ですよ」
笑顔で風船太郎さんが応えてくれた。
そして、ようやく風船太郎さんの出番が訪れたときには
日付が変わっていた。
ステージには大きな四角い箱が3つ並んでいる。
そこに、パンツ一枚で全身裸の風船太郎さんが現れたのである。
そして驚くべきことに、ボディビルダー並みの筋肉が体を覆っている。
手には何やら水色の大きなビニールのようなものを持っている。
「いまからこの風船を膨らませて中に入ります。」
なんと青いビニールは風船だったのであった。
送風機から空気が送り込まれ1メートル近く膨らむ風船。
その中にマッチョな風船太郎さんの体が包み込まれた。
そして突如顔だけが風船から飛び出して来た。
何がこれから起こるのか全く予想もできない。
すると顔だけ出した風船太郎さんが飛び跳ねだした。
撮影現場は大爆笑の渦に包まれた。
「えー ではこれから 箱を飛んで渡ります。」
3つ並んだ箱の一つ目にジャンプし飛び乗った風船太郎さん。
そして、段差の違う2つ目の箱に飛び移る。
巨大な風船に入った風船太郎さんがリズミカルに
箱の上でピョンピョンと飛び跳ねている。
見たことのない光景が目の前で繰り広げられていた。
なんじゃこらという衝撃を受けたヨウメイであった。
深夜2時を超えているにも関わらず、出演者、スタッフ一同が
笑っていた。
「今日はありがとうございました。」
めちゃくちゃ収録時間が押したにも関わらず、嫌な表情を見せることもなく
出演を終えた風船太郎さんが車で帰っていかれたのであった。
なぜ、あんなに元気にパフォーマンスができるのか聞いてみたいと
そのとき思った。
しかし時間が経つとそんなことは忘れてしまったヨウメイであった。
そして、この企画を始めたとき、またまた、あおーきんから提案があった。
「風船太郎さんが風船の中に入ろうと思ったきっかけって何なんですかね。
ちょっとそこは是非とも聞いてみたいもんですね。」
風船太郎さんが住んでいる場所は岐阜。
出演依頼を出す前に、どうやって岐阜にまで行くかを考えたヨウメイであった。
遠すぎる岐阜。どうやって会いに行けば良いのか?
依頼も出していないのに会ってもらえること前提で
岐阜になんとかして行く手段を考えた。
しかし、答えが全く出てこなかった。
これ以上ない頭で考えても無駄だと思い、
ダメ元で出演依頼を送るため、スケジュールを確認した。
そして落胆した。
3ヶ月先まで一日の休みもなくビッチリと埋まっているではないか!!
なんて多忙なんだ!!
あらためて風船太郎さんの人気ぶりに驚かされるのであった。
普通なら、活動拠点は地元だけのはずだが、出張しながら
バールーンパフォーマンスをする風船太郎さんは呼ばれれば
どこにでも行く。
スケジュールに全く空きがないのである。
これは企画書を送っても無理かなと思いあきらめようとしたが、
よくスケジュールを確認すると関東にもバルーンショーで来られて
いるではないか。
それなら、どこかでお時間が頂けるのではないかと思い、
ダメ元で企画書を送ってみることにしたのであった。
するとすぐに風船太郎さんから快諾のお返事が返って来たのである。
幼稚園でのバルーンショーの合間と後であればお時間を頂けるとのこと。
願ったりかなったりであった。
こうなると少し、こちらも欲が出てくる。
お話を伺えるだけでも十分であったが、何年も前に見た
風船太郎さんのバルーンショウを撮影させて欲しいと思い始めるヨウメイであった。
「当日はお手伝いいたしますので、スタッフの一人としてご同行させていただき
バルーンショウを撮影させてください。」
厚かましくもお願いしてみたところ、
「それなら幼稚園に確認してみます」
と快諾してくださり、幼稚園と交渉し撮影許可をとってくださったのであった。
待ち合わせ場所に伺うと、風船太郎さんが車で駅まで迎えに来てくださっていた。
「おはようございます。車に乗ってください。」
「今日は、朝からご苦労さまです。 岐阜から車でまたいらっしゃったんですか?」
「いえ、昨日はこちらに泊まりました。」
「どういうことですか?」
「東京営業所ができまして、関東の方へ行くときはそこから車で向かうんですよ」
「東京営業所!!」
てっきり前回お会いしたときのように車で来られているものと
ばかり思っていたが、いつの間にか会社が大っきくなっている風船太郎さん。
「こんなにお忙しいのに、よく、受けていただきましてありがとうございます。
また、どうして受けてくださろうと思われたんでしょうか?」
「企画書、読んでないんですよ。」
「え、どういうことですか?」
「基本的に来た仕事はよっぽどのことがない限り、
受けることにしていて断らないんですよ。」
どこかで教えていただいた言葉だなと思い出してみると
加藤鷹さんも同じことをおっしゃっていたことを思い出した。
よほどのことがない限り断らない。
それが仕事を続けていく上で大切なことと改めて思い知らされる
ヨウメイであった。
「まえは、どちらで」
「ゲーム番組の収録でお笑いモンスターとして登場していただいたことが」
「ああ、あのときの」
風船太郎さんは過酷な撮影のことを覚えていらっしゃったのであった。
すぐに車は、バルーンショウの行われる幼稚園に到着した。
お笑いモンスターとしての風船太郎さんしか知らない
ヨウメイは子供たちがどのような反応をするのか楽しみであった。
会場には50人を超える子供たちが元気に走り回っていた。
この元気な子供たちを釘付けにできるのかと思って観ていた。
風船太郎さんの紙芝居が始まると、おとなしくなり話をピタリとやめる子供たち。
そこへきらびやかな衣装の風船太郎さんが登場すると
子供たちの元気な声しか聞こえてこない。
園児たちがバルーンショウを楽しんで夢中になっている。
そしてなぜか朝お会いしたときよりも風船太郎さんが元気でなのである。
午前中のバルーンショウが終えられたので風船太郎さんが
風船に入ろうと思われたきっかけを聞くことにした。
スマートフォン用 40分
i-phone用 40分