15人目のゲストは映画・ドキュメンタリーのカメラマン、撮影監督の山崎 裕さん。 

profile

 

山崎 裕(やまざき ゆたか)

 

1940年 生まれ。

 

 

 

 

東京都出身。

 

 

 

 

日本大学芸術学部映画学科卒。

 

 

 

カメラマン、ディレクター、プロデューサー

 

映画監督、撮影監督。

 

 

 

株式会社ドキュメンタリージャパン代表取締役。

 

 

株式会社いちまるよん代表取締役。

 

 

 

 

少年時代、家庭に映写機があったことでアニメーションの作品や

時代劇の作品を友達と一緒によく鑑賞。

 

 

 

 

中でもロードショーが好きで銀座や日比谷の映画館に一人で通い、

ジョン・フォードを始めとする西部劇の作品の虜になる。

 

 

 

 

その影響もあり小学校の時から映画をやろうと心に決める。

 

 

 

 

高校の時、脚本が書けないと映画監督になれないことを知り、

 

撮影を学びカメラマンになるため

日本大学芸術学部映画学科に進学することを決める。

 

 

 

 

特にどんなジャンルのカメラマンになろうかはっきりとは決めていなかったが、

 

 

 

 

卒業間近、国語の教師に

 

「一番オモシロい対象は人間だぞ」

 

と教えられたその一言が心に残る。

 

 

 

 

1960年、安保闘争のとき、安保を記録する会の

 

野田真吉さんや富沢幸男さんが撮影するなか、

 

日大映研にも学生たちにも撮影させようということで

フィルムが回ってきたことで、

記録映画『19606 月安保への怒り』の撮影を担当する。

 

 

 

 

石川県の観光PR映画「石川の四季」で

 

仕事として、撮影助手を努める。

 

 

 

 

卒業後はフリーの撮影助手として活動。

 

 

 

 

1964年、24歳のときに、

 

日本画家の中村正義さんが監督を努めた

 

「日本の華 肉筆浮世総」で

 

フイルムカメラマンとしてデビュー。

 

 

 

 

以降、CMPR映画、記録映画、テレビの撮影にかかわる。

 

 

 

 

1977年、ビデオが普及しだした頃、

 

ビデオカメラによるドキュメンタリー番組づくりを

 

積極的に行う。そのころにドラマの撮影にも携わる。

 

 

 

 

1986年、制作会社ドキュメンタリージャパンに役員として参加し、

プロデューサー、ディレクターを兼任。

 

 

 

 

 

1988年、是枝裕和監督の「ワンダフルライフ」で

劇場用映画の撮影を担当する。

 

 

 

 

以降、ドキュメンタリー映画から劇場映画の撮影監督を努める。

 

 

 

 

70歳で劇場映画「Torso トルソ」を自らが監督、撮影を行う。

 

 

 

 

2010年 から「座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル」の

プログラムディレクターも務める。

 

 

 

 

75歳を越えられた今もカメラを持って、テレビドキュメンタリー、

映画の撮影に奮闘中!

 

 

 

 

 

主な番組・作品

 

撮影

 

『ワンダフルライフ』 1999

 

DISTANCE』 2001

 

『誰も知らない』 2004

 

『カナリア』 2004

 

『花よりもなほ』 2006

 

『恋するマドリ』 2007

 

『歩いても 歩いても』2008

 

『たみおのしあわせ』 2008

 

『俺たちに明日はないッス』 2008

 

『狛Koma』 2009

 

ANPO』 2010

 

『奇跡』2011

 

『 裸の夏』 2011

 

『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』

 

『フタバから遠く離れて Nuclear Nation』 2012

 

『樹海のふたり』『ひろしま 石内都・遺されたものたち』2013

 

2つ目の窓』 2014

 

 

 

監督作

 

Torso トルソ』 2010

 

山崎 裕さんが映画・ドキュメンタリーのカメラマンになった理由

 

山崎裕さんとヨウメイ

 

 

 

東京の杉並区にある、座・高円寺。

 

 

 

演劇やダンスなどの舞台芸術作品の

 

公演が行われる芸術会館である。

 

 

 

そこで開催された、

 

「第6回座・高円寺ドキュメンタリー

 

 フェスティバル」。

 

 

 

映画・テレビの枠を超えた

 

ドキュメンタリー映像の祭典。

 

学生の作品から、テレビ、映画まで入選した

 

傑作の作品が上映される。

 

 

 

ヨウメイに与えられたミッションは

 

そのイベントをニュースで紹介するための

 

映像撮影であった。

 

 

 

取材依頼書の担当者の名前の欄には山崎さんと

 

Kさんの名前が記載されていた。

 

 

 

依頼書を見たときにヨウメイの心はときめいた。

 

 

 

ドキュメンタリー。

 

 

 

山崎さん。

 

 

 

もしかして、映画・ドキュメンタリーのカメラマン、

 

山崎裕さんがいらっしゃる!?

 

 

 

これはもしかして念願がかなって

 

山崎さんをお見かけすることができるかも。

 

 

 

かすかな期待に胸を膨らませるヨウメイであった。

 

 

 

 

 

でも、知っている山崎裕さんはカメラマンで

 

まさか、ドキュメンタリーフェスティバルの

 

関係者なわけがあるはずないよな。

 

 

 

 

と思いながら取材時間に座・高円寺へ到着した。

 

 

 

 

 

ドキュメンタリーフェスティバルの会場となっていた

座・高円寺2は地下にあるので、階段を下り受付へ。

 

 

 

 

取材にきたことを受付の方に伝えると、

 

奥にある控え室へと案内された。

 

 

 

 

控え室にはノートパソコンのキーボードを

 

たたいている人がいた。

 

 

 

「おはようございます。

 

 本日、ドキュメンタリーフェルティバルの取材に来たんですが。」

 

 

 

「Kといいます。よろしくお願い致します。」

 

 

 

Kさんから名刺を頂いた。

 

見るとドキュメンタリージャパンと書いてある。

 

 

 

 

あれ、どこかで見たことがあるなと

 

このとき直ぐに思い出せないダメなヨウメイ。

 

 

 

 

「取材にあたりまして、インタビューを

 

 どなたかにお願いしたいのですが」

 

 

 

 

「プログラムディレクターの山崎が担当しますので

 

 よろしくお願いします。」

 

 

 

 

「わかりました。」

 

 

 

 

「これパンフレットになりますのでご覧ください。」

 

 

 

 

ドキドキしながら

 

頂いたパンフレットをペラペラとめくってみる。

 

 

 

 

直ぐに衝撃の名前を発見し

 

ヨウメイのガラスの心臓は破壊された。

 

 

 

 

プログラムディレクター 山崎 裕。

 

 

 

 

ええ、マジっすか!? 

 

 

 

 

カメラマンの山崎さんが

 

プログラムディレクター!!

 

 

 

なぜ!?

 

と思ったが素知らぬ顔でKさんに

 

同様をさとられぬようしれっときいてみた。

 

 

 

 

「インタビューに応えていただける山崎さんて、

 

 もしかして、カメラマンで映画監督の

 

 山崎裕さんですか?」

 

 

 

 

「ええ、ご存知ですか?」

 

 

 

 

ご存知も何も、ずっとお会いしてお話を聞きたい。

 

 

 

 

ヨウメイが勝手に撮影の神様だと

 

思っている山崎さんにインタビューができる!!

 

 

 

 

「山崎が来ましたら、

 

 紹介しますのでよろしくお願いします。」

 

 

 

 

「こちらこそ よろしくお願いします。」

 

 

 

 

 

 

Kさん、どこかで見たことがあると思えば、

 

ようやく思い出したのである。

 

 

山崎さんが映画監督作品、

 

『トルソ』のバーのシーンで登場していたのであった。

 

 

 

 

 

思い起こせば15年前。

 

 

 

 

映像業界に飛び込み、

 

 

 

「撮影しているカメラの向こう側で、

 

 カメラを担いで撮影しているのが山崎裕さんだよ

 

 知ってる? 日本の重鎮だよ!」

 

 

 

 

と教えられ、ずっと山崎さんの撮影する現場に行き

 

技術を盗む機会をヨウメイは伺い続けていたのであった。

 

 

 

 

そして、70歳を超えられて活躍され続ける

 

山崎さんのお姿をみて、

 

 

 

 

果たして自分は70歳で同じことができるのか!!?

 

と考え、

 

先行きが不安になり、心が折れ

 

引きこもりならぬ、家に立てこもりになってしまった。

 

 

 

 

そんなヨウメイが憧れのカメラマンである

山崎さんにインタビューできる機会が訪れたのであった。

 

 

 

 

 

 

そもそも始めて山崎さんを知ったのは

 

学生時代に観た是枝裕和監督の

映画「ワンダフルライフ」である。

 

 

 

 

 

「貴方の一番大切な思い出はなんですか」

 

 

 

 

死者たちが死後の世界へと旅立つまでの1週間、

 

一番大切な思い出を選ぶ。その選んだ思い出が

 

スタッフたちの手によって映画として再現される。

 

 

 

 

死者たちの頭の中にその記憶が蘇った瞬間、

 

「一番大切な記憶」だけを持って死後の世界へ旅立っていく。

 

 

 

 

ストーリーも良かったのだが、気になったのは

 

誰がこんなにあったかい映像を撮影しているのかであった。

 

 

 

 

そして、エンドクレジットを見た。

 

 

 

 

撮影  山崎裕。

 

 

 

 

名前を知ることはできたのだが

 

どんな方だか写真がないので解らない。

 

 

 

 

ヨウメイは勝手に思った。

 

 

 

 

山崎さんのようなあったかい映像が

 

撮れるカメラマンになるのもいいな。

 

 

 

 

そして、カメラマンになれば好きな映像が撮影できる。

 

 

 

 

 

映像業界に入ってみて

 

実際は大きく違うということに気づくのだが、

 

当時は全くそんなことは知らない。

 

 

 

 

どあほなヨウメイはそれだけで映像の世界に

 

飛び込むことを決めたのであった。

 

 

 

 

 

卒業間近まで就職活動をしなかったにも関わらず、

 

運がよく撮影技術会社に就職することができた。

 

 

 

撮影のさの字も知らないヨウメイは撮影機材の

 

ことなど全くしらない。

 

 

 

ただ、撮影するビデオカメラと、レンズが

 

あわせて1000万ぐらいする高価なもので

 

ぶち壊すと大変なことになるよと教えられ

 

撮影現場に送り込まれたのであった。

 

 

 

 

最初にいった撮影現場で与えられたミッションは

 

カメラが10台ぐらい回っている現場での

 

収録VTRの管理。

 

 

 

 

VTRの知識など全くない。

 

 

 

 

「ランプが点滅しながら回っているか

 

 確認していればそれでいい。」

 

 

 

 

と教えられ収録が始まった。

 

 

 

 

そして、決まったようにトラブルが起こるのである。

 

 

 

 

収録し始めて5分。

 

 

 

 

 

収録デッキのワーニングランプが

 

怪獣にやられピンチになったウルトラマンの

 

カラータイマーのごとく点灯し始めた。

 

 

 

 

 

あれ、何かがおかしい。

 

 

 

 

 

嫌な予感がした。

 

 

 

 

 

VTRデッキの回転が止まった。

 

 

 

 

 

恐る恐る近くの人に報告するヨウメイ。

 

 

 

 

すると原因が判明。

 

 

 

 

なんと、収録しているテープが

 

VTRデッキのヘッド部分に絡まったのである。

 

 

 

 

 

当然、撮影技術のテクニカルディレクター

 

が烈火のごとく怒り飛び込んできた。

 

 

 

 

「何をしとんじゃ、素人に担当させるな!

 

 交代しろ。」

 

 

 

ヨウメイの説明を聞くまでもなく

 

即、別のカメラアシスタントに交代である。

 

 

 

 

強烈な現場デビューであった。

 

 

 

 

 

はたまた、繁殖しすぎた鳥を撃退する企画があり、

 

湖畔にある島にテントを張り泊まり込みで

 

撮影を続けていたときのこと、

 

 

 

 

出演者が鳥撃退作戦を考えるため

 

テントに入り込むことになった。

 

その流れをカメラをずっと回しながらついていく。

 

 

 

 

 

ヨウメイはカメラアシスタントとして

 

カメラマンの後ろからついて行く。

 

 

 

 

 

テントに入る瞬間、なぜか嫌な予感がした。

 

 

 

 

テントの入り口を出演者が開けて入りカメラマンも続いて入っていく。 

 

 

 

 

 

ヨウメイも続かなければと思いテントの中に入った。 

 

 

 

 

 

するとテントの中は出演者とカメラマンの2人が

 

場所を占有してしまいヨウメイの居場所がない。

 

 

 

 

 

仕方がないのでテントの入り口に立っていた。

 

 

 

 

するとカメラマンから蹴り飛ばされた。

 

 

 

 

これをヨウメイは纐纈キックと呼んでいる。

 

 

 

 

なぜか、カメラマンの表情が鬼の形相に変わり

 

ヨウメイをにらんでいるではないか。

 

 

 

 

そして目が、

 

 

 

「お前、そこをどけ」

 

 

 

と告げていたのを見逃さず、

 

無理やり中に入った。

 

 

 

 

するとまた纐纈キックが飛んで来た。

 

 

 

 

撮影後、鬼の形相から仏の顔になったカメラマンから、

 

 

 

「お前が、入り口のところに立ってたんで

 

 光が遮断されて、暗くなった。

 

 入らんでもええんやったら

 

 無理して入らんでもええよ。」

 

 

 

と猫なでごえで教えられたのであった。

 

 

 

 

ビデオカメラは繊細である。

 

ちょこっとの光で映像の明るさが大きく変わる。

 

 

 

 

ヨウメイは纐纈キックをくらい学習したのであった。

 

 

 

 

つまらない会社の上司の顔色は伺わなくてもいいが

 

カメラマンの顔色は常に伺えと。

 

 

 

 

ちょっと話は逸れるのだが、

 

 

纐纈キックをお見舞いされヨウメイは

 

このカメラマンを恨んでいるかというと、

 

全くそんなことはない。

 

 

 

なぜなら、撮影中は画をとる為に鬼になるが、

 

後になって、カメラアシスタントとして

 

使えなかったヨウメイに

 

 

 

「ウチの会社に来ない」

 

 

 

と声をかけてくださったありがたい人であり

 

ずっと尊敬してるのである。

 

 

 

 

話を戻すことにする。

 

 

 

多くの失敗を繰り返し、辞めようかなと

 

思っていた時、

 

顔も知らなかった山崎さんを

 

教えてもらう機会が訪れたのであった。

 

 

 

 

東京サウンドプロダクションの

 

お仕事でたまたま会社を訪れていた。

 

 

 

 

東京サウンドプロダクションとは

 

通称TSP

 

 

 

ヨウメイにとって撮影技術のいろはを

 

いろいろと教えて下さった

 

神様のような方々がいる撮影技術会社である。

 

 

 

 

TSPのカメラアシスタントが

 

その日収録してきていたテープをチェックしていた。

 

 

 

 

テレビモニターの中には

 

映画「アカルイミライ」に

 

出演していたオダギリジョーさんの姿が。

 

 

 

 

次の映画の撮影に望んでいるところを追いかけた

 

ドキュメンタリー番組の撮影であった。

 

 

 

 

そのオダギリジョーさんの向こうに

 

ビデオカメラを構えたカメラマンの姿が!!!

 

 

 

 

そのカメラマンはカメラをオダキリさんに

 

向けたまま全く動かない。

 

 

 

 

そして撮影しているTSPのカメラマンも

 

オダギリジョーさんとカメラマンを

 

撮影し続けている。

 

 

 

 

お互いのカメラマンが全く

 

ポジションを変えようとしない。

 

 

 

 

どちらも画を譲ろうとはしていなかったのである。

 

 

 

 

「ヨウメイ、知ってる? 

 

 オダギリさんの向こうに映ってる

 

 カメラマン日本の重鎮だよ」

 

 

 

 

 撮影部のビデオエンジニア、佐藤さんの

 

 声がした。 

 

 

 

 

「日本の重鎮ですか?いったい誰なんですか?」

 

 

 

 

「撮影している向こう側で

 

 ビデオカメラを担いで撮影しているのが

 

 山崎裕さんだよ。」

 

 

 

 

「え、本当ですか? 

 

 映画『ワンダフルライフ』のカメラマン、

 

 山崎さんですか?」

 

 

 

 

なぜかわからないが話しているときの

 

佐藤さん、めっさうれしそうであったのを覚えている。

 

 

 

 

「60歳を迎えられても、現場に出られて

 

 10キロもあるビデオカメラ担いで

 

 撮影してんだよ。」

 

 

 

 

「ええ、60歳ですか!? 現役!? 

 

 本当ですか?」

 

 

 

 

「こちらも巨匠のカメラマンが撮影に

 

 行ってたんだけど、

 

 お互い画を譲らないのがまた凄いよね。」

 

 

 

 

佐藤さん、ただのビデオエンジニアではない。

 

撮影機材のメーカーが新製品を開発するときに

 

相談に来るほどの凄い人である。

 

 

 

日本で5本の指に入る、ビデオエンジニアの神様と

 

聞いていたヨウメイである。

 

 

 

 

そんな、佐藤さんが

 

子供が好きなことを話しているような満面の笑みで

 

山崎さんのことをいろいろと教えてくれた。

 

 

 

 

 

60歳を越えて現場にでる。

 

 

 

 

昼夜を問わず、撮影が行われる

 

テレビや映画の撮影現場はカメラマンとしての

 

センスも必要であるが体力も必要である。

 

 

 

 

ましてや、ドキュメンタリーの撮影現場とも

 

なると出演者が急に走り出したりすると、

 

10キロものビデオカメラを担いで追っかけて

 

撮影しなければならないのである。

 

 

 

 

 

果たしてヨウメイは60歳で現場に出ることが

 

できているのか?

 

 

 

 

この時、一抹の不安がよぎったのであった。

 

 

 

 

それは、周りのカメラマンを見渡してみると

 

会社の都合もあるとは思うのだが、

 

50歳を越えられると撮影を続けたいのだが

 

現場に出してもらえず、

 

会社でデスクワークをしている方々が多かった。

 

 

 

 

そして、長時間の仕事に就くよりも、

 

時間の短い楽な仕事に就きたがる

 

カメラマンが多かったように思う。

 

 

 

 

何よりも、一番の問題は、

 

歳をとったカメラマンは動いてくれないから

 

声がかからなくなっていくと

 

いうことを耳にしていたのであった。

 

 

 

 

60歳で撮影の依頼が来て

 

ドキュメンタリーの現場で撮影をしている

 

山崎さん。

 

 

 

 

現場ではどんな会話が行われているのだろう。

 

 

 

 

 

そして、どんな方なのだろうか?

 

 

 

 

 

 

そして何よりも、撮影技術を盗むためにも

 

山崎さんの現場を見てみたい。

 

 

 

 

その、思いがかなったのが

 

是枝裕和監督の映画「誰も知らない」である。

 

 

 

 

1988年に起こった、巣鴨子供置き去り事件

 

を題材にした作品。国内外で数々の映画賞を

 

獲得した傑作である。

 

 

 

 

その映画「誰も知らない」のメイキング映像、

 

「誰も知らないができるまで」で、

 

 山崎さんが撮影する様子を見ることが

 

 できたのであった。

 

 

 

 

 

感想は、山崎さんの撮影中の動き方、

 

 

 

本当に60歳を越えてらっしゃるんですか!? 

 

 

もっとお若いのでは山崎さん!!

 

 

 

 

というほど俊敏すぎた。

 

 

 

 

 

部屋の一室での撮影中、

 

撮影助手がカメラレンズのフォーカスか

 

明るさを調整しようとした時、

 

 

 

出演している子供たちの表情が良かったのか

 

わからないが急にポジションを変え

 

撮影を始めようとする山崎さん。

 

 

 

 

 

凄い。 

 

 

 

 

60歳を越えた人の動きではない。

 

 

 

そして、現場で指示を出し、撮影を進めていく、

 

山崎さん。

 

 

 

 

「優秀なカメラマンでも、現場の仕切りが悪いと、

 

 俳優や、女優から凄まじいプレッシャーがかけられ、

 

 その重圧でぶっ壊されちゃうよ」

 

 

 

 

と佐藤さんから映画・ドラマの撮影現場で

 

プレッシャーで壊されたカメラマンの

 

お話をいくどと聞かされていたヨウメイである。

 

 

 

 

 

山崎裕さん、カッコいい。

 

 

 

 

60歳を越えて現役で続けられているには

 

何か秘密があるに違いない。

 

 

 

それが知りたい。

 

 

 

 

 

山崎さん、一体何処にいるんですか!?

 

 

誰か知らないである。

 

 

 

 

 

技術会社との折り合いが悪く

 

制作会社に仕事の場を移したヨウメイ。

 

 

 

 

 

 

 

そこで、撮影の神様を発見したのであった。

 

 

 

 

 

次の撮影の資料を届けに行ったときのこと、

 

ふと横を見ると偉い人と話している

 

山崎さんの姿が!

 

 

 

 

「誰も知らないができるまで」を

 

何度も見ていたヨウメイにとって

 

見間違えるはずはない。

 

 

 

 

 

ただ、このとき、ヨウメイの頭の中には

 

佐藤さんから教えていただいた、

 

 

 

 

「山崎さんは、日本の重鎮だよ」

 

という言葉が頭の中に響いていた。

 

 

 

山崎さん、話かけて怖い人だったら

どうしよう。

 

 

 

 

 

それに、とてもカメラマンとして凄い人と

 

いう思いが頭の中によぎり

 

何もできなかったヨウメイであった。

 

 

 

 

今思えばあの時、ダメ元でも挨拶していれば

 

良かったと思うのであった。

 

 

 

 

 

その山崎 裕さんに念願がかなって

 

インタビューができる。

 

 

 

 

 

 

本当にそんなことがあって良いのか。

 

 

 

 

ただ、いささか心配もあった。

 

 

 

 

山崎さん無口で、あまりしゃべって下さらない

 

方だったらどうやって話を聞き出そうと

 

いう一抹の不安を抱えたままついに山崎さんと

 

会う瞬間がおとずれたのであった。

 

 

 

 

 

担当のKさんが、

 

 

 

 

「プログラムディレクターの山崎です。」

 

 

 

 

と山崎さんを紹介してくれた。

 

 

 

 

「始めまして、撮影にきましたヨウメイと申します。」

 

 

 

心の中は、お会いできた嬉しさと、

不安でドキドキであった。

 

 

 

「座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルの

 

 プログラムディレクター、山崎です。

 

 今日はよろしくお願いします。」

 

 

 

 

あれ、怖いかなと思っていた山崎さん、優しい。

 

 

 

 

ヨウメイの不安は一瞬で解消されたのであった。

 

ただ、今度は山崎さんを前にして緊張が襲って来た。

 

それは悟られてはならない。

 

 

 

 

「ドキュメンタリーフェスティバルに

 

 ついてのお話をお伺いしたいのですが…」

 

 

 

 

「どういった段取りで、

 

 お話をすればよろしいでしょうか…」

 

 

 

 

「では入場口から横に入ったところに

 

 ポスターを張りますので

 

 そちらでインタビューをお願いしてもよろしいでしょうか?」

 

 

 

 

「わかりました。ちょっと打ち合わせありますんで

 

 先に準備してお待ちになってて下さい。」

 

 

 

 

 

これは準備に時間をかけてはならない。

 

いつ来られても直ぐ撮影できるように

 

三脚を置きカメラを置いて画角を決めた。

 

 

 

 

 

準備は整った。

 

 

 

 

しかし、山崎さんが現れない。

 

 

 

 

あれ、おかしいな、もしかするとまだ、打ち合わせで

 

時間がかかっているのかもしれない。

 

 

 

 

 

ちょっと会議室の方を見に行こうとした時、

 

ふとホールの先を見るとエレベーターが

 

が降りて来た。

 

 

 

 

扉が開き中からなぜか打ち合わせ中で

 

あるはずの山崎さんが出て来られた?

 

 

 

あれ、山崎さん!?

 

 

 

 

 

山崎さんがヨウメイに気づき、

 

 

 

「どこにいたんですか? 」

 

 

 

山崎さんが、小走りに駆け出した。

 

 

 

 

 

山崎さん、駆け出さなくて全然大丈夫です!!

 

ヨウメイは心の中で思った。

 

 

 

 

 

「ちょっと探していなかったんで

 

 外まで探しに行っちゃいましたよ」

 

 

 

 

山崎さん、時間がないのはわかりますが

 

歩いてください。

 

 

 

 

何かあったらどうするんですか!

 

責任とれません。

 

 

 

 

「では、始めましょうか。」

 

 

 

 

山崎さん笑顔である。

 

 

 

 

「このドキュメンタリーフェスティバルの趣旨は

 

 なんですか?」

 

 

 

 

「映画・テレビの枠を超えたドキュメンタリー映像の

 

祭典で、学生の作品から、テレビ、映画まで入選した

 

作品を上映します。」

 

 

 

 

丁寧に一つ一つの質問に応えて下さる山崎さん。

 

 

 

 

お話をお伺いする機会があれば、どうしても聞きたいことがあった。

 

 

 

「多分、放送時間の関係上

 

 使えないかもしれないですが、教えていただいて

 

 よろしいでしょうか?」

 

 

 

 

「何でもきいてください。」

 

 

 

 

「どうして、映画・ドキュメンタリーのカメラマンに

 

 なろうと思われたんですか?」

 

 

 

 

山崎さんの表情が崩れ、子供の一番すきなことを話す時の顔になった。

 

 

 

 

「映画が好きだからです。だからカメラマンを

 

 続けているんです。」

 

 

 

 

カッコいい。

 

 

 

 

 

「では作品の選考がありますんでこれで行きます。」

 

 

 

 

インタビューが終わり、

 

山崎さんが作品の選考に戻っていった。

 

 

 

 

 

山崎さんが去ったあと、ヨウメイは気づくのであった。

 

 

 

 

名刺を貰い忘れた!!!!

 

 

 

 

名刺があれば山崎さんのいらっしゃるところが解る。

 

そうすれば出演交渉の余地もあったのである。

 

 

 

 

ただ、Kさんの名刺は頂いていた。

 

 

 

 

こうなった無理だと思うが、思い切って

 

山崎さんの連絡先聞いてみるか。

 

 

 

 

聞いてダメで元々。聞かないで後悔するより

 

聞いて後悔する方がいい。

 

 

 

直ぐにKさんに連絡をすると

 

 

 

「是非とも、山崎にインタビューして下さい。」

 

 

 

 

本当ですか?

 

 

 

そんなことあっていいんでしょうか?

 

 

 

 

山崎さんの連絡先がヨウメイの元に

 

届いたのであった。

 

 

 

 

山崎さんに出演依頼をお送りすると、

 

 

 

 今イギリスで番組の撮影中ですので、

 

 戻りましたらお時間とれるかもしれません。

 

 

 

とお返事が返って来たのであった。

 

 

 

 

 

配信はこちらから

山崎 裕さん 前編 (65分)

山崎 裕さん 後編 (45分)

今後のゲスト予定

これからも魅力的な人にお話を聞いてきます!

好評配信中 

 

 

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1人目のゲスト 加藤 鷹さん

 

Profile

 

加藤 鷹 (Katou Taka)

 

1959年5月1日生まれ。

秋田県出身。秋田商業高校卒。

高校卒業後、日立に入社。

 

営業職での能力が高く評価され、

ヘッドハンティングされビューホテルに転職。

将来が約束されていたにも関わらず退職。

 

28歳の時、秋田から上京。

             

1988年、AV男優としてデビュー。秘技「ゴールドフィンガー」を編み出し、

26年間アダルトビデオ業界で活躍する。出演したアダルトビデオは10000本を優に超え、

共演した女優は8000人にも及ぶ。

しかし、2013年、惜しまれつつもAV男優を卒業!

現在はタレント活動以外にも書籍を執筆やプロデューサーとして活躍中。

無類の車好き。子供のころには交通量を調査し車のナンバープレートを記録するほど。

これまでに車にかけた費用は1億円!

2人目のゲスト 大原研二さん

Profile

 

大原 研二(Ohara Kenji)

 

1975年5月18日生まれ。福島県出身。

 

大学卒業後に演劇に目覚め小劇場を中心に役者としての活動を開始。

役者、脚本家、演出など多方面で活躍。

 

 

北野武監督「アウトレイジ」に加瀬亮さん演じる大友組 石原の舎弟役として出演。

流暢な英語でのセリフをしゃべり、顔に似あわぬ存在感ある役を好演する。

 

現在は演劇界の直木賞「岸田戯曲賞」をとるであろうと言われている

天才演出家、谷賢一さんの率いる劇団「DULL-COLORED POP」の看板役者。

 

一方、「図書館戦争」や「阪急電車」などを執筆されている

有川浩さんの主宰する演劇ユニット「スカイロケット」にも

客演として第一回公演の「旅猫リポート」に出演。

 

有川浩さんの書籍「シアター」「シアター2」に登場する劇団「シアターフラッグ」の役者、

黒川、泰泉寺のモデルは自分かなと思っている。

 

 

 

 

3人目のゲスト 多摩川のロビンソンクルソー ろびんそんさん

Profile

 

 

 ろびんそん (Robinson 仮名)


1940年6月10日生まれ。秋田県出身。

某コンピューター会社勤務。しかしが会社が不渡りを出す。

その時に意を決しコンピューター会社を退社。

ふらふらした後、廃品回収業に携わる。

 

当時生活していたところが立て壊しになるため次の住居として選んだのが

多摩川の河川敷。

川の氾濫やブルドーザーで家が2回も破壊される。

それにもめげず廃材で家を建て現在に至る。

 

数種類の野菜や果物を植え、自給自足の生活を営み

電気は発電機を使用し自家発電。

 

家の中にはテレビや電子レンジなど電化製品が多数あり何不自由のない生活を送る。

水は天水(雨水)を飲用し、ご本人曰く、水道水より体にいい純水を飲んでいるとのこと。

  

 

動物の世話も好きで猫やはとを飼っている。ろびんそんさんも動物の世話をするが

ご近所の主婦の方もえさをやりにくるほど地域の人々との交流も盛んに行っている。

 

タケノコが生える季節やびわなどの果物がなると住民の方々にお裾分けするほどやさしくて人がいい。

 

坂口恭平氏の著書「ゼロから始める都市型狩猟生活」にも登場するカリスマ0円生活者!

 

 

4人目のゲスト 月花さん

 

Profile

 

月花(Tsukika)

 

 

12月21日生まれ。福岡県出身。O型。

 

博多に住んでいたころにスカウトされ女王様になる。

その時に出会ったお客さんの数は1万人を超える。

 

98年、女王様を引退。 

 

 

 

女王様の時から人が集まれる場所を作りたいという思いがあり、渋谷でバーを経営。

 

最初は赤字経営であったがやがて20歳~80歳までの幅広い客層に支持され黒字経営に。

 

お金を儲けることよりも人との出会いを大切にし、常に人から学ぶ姿勢を持つ。

多くの人と出会ってきた経験から人の洞察力に長けている。

 

最近では、映画やドラマなど、役者の演技指導を頼まれ、多忙な日々を過ごす。

園子温監督の「愛のむきだし」では、出演とキャスティングに両方に携わる。

 

映像作家、監督、タレント、舞台プロデュース、マンガ原作など多才な顔を持つを

マルチクリエイター。

 

ファンからの呼び名は「残虐天使」。

 

 

月花さんHP

 

 

http://www.tsukika.org/

 

 

 

 

5人目のゲスト ドクタークラレさん

 

Profile

 

ドクタークラレ

 

4月1日生まれ。 京都府出身。

 

 

血液型B型。

 

 

 

爆笑秘密結社「薬理凶室」の室長。

 

 

通巻15万部以上のベストセラー理系書

『図解アリエナイ理科ノ教科書』(略称:ア理科)シリーズを執筆。

 

2000年に担当したサブカル雑誌「危険な28号」は

国内の18都道府県から有害指定図書という伝説を生み廃刊に。

 

 

生物化学分野の才能に突出しており、特殊な事件での捜査協力、

またドラマやイベントなどの監修企画にも携わる。

 

 

尊敬する人はボヤッキーとマシリト博士と岸和田博士とノヴァ教授。

 

 

格闘ゲーム(現在は『ギルティギアXrd』『USF4』)と

漫画が好き(最近のだと『愛気』、『地獄のアリス』、『フランケンふらん』等)。

 

 

 

近日、マイナビニュースの食品連載とビジネスジャーナルの薬局商品選びの連載が単行本化が予定。

さらに続々と執筆中らしい。

 

 

 

本人のWEBサイト 

 

 

http://www.cl20.jp/R/kurareraku.html

 

6人目のゲストはローリング内沢さん

Profile

 

ローリング内沢(Rolling Uchizawa)

 

1970年生まれ。  東京都出身。

 

ライター、編集者、コラムニスト、ゲーム批評家。

 

ゲーム情報誌「週刊ファミ通」の編集者を経て、

2000年4月よりフリーのライターとして活動。

 

好きなゲーム 『フォールアウト」 「バトルフィールド」など。 

 

ゲームの腕前は神様級ではないが、

誰にも負けないほどゲームを愛している。

 

 

そして何よりも、ゲームのおもしろい、おもしろくないに関しては、

人によってぶれない強い信念を持っている。

 

好きな音楽はクラブミュージック。

 

 

ライターの講師やクラブイベントのプロデューサーとしても活躍中!

7人目のゲストは中野昭慶監督

 

Profile

 

 

中野 昭慶 (なかの てるよし) 

 

 

1935年10月9日 生まれ

 

満州安東県出身。

 

日本を代表する特技監督。

 

代表作

「日本沈没」「ゴジラ(1984)」

「メカゴジラの逆襲」など

 

 

少年時代、日本の敗戦とともに飛び交う銃弾の中をくぐり抜け、

福岡県博多に引き揚げてくる。

 

 

日本大学を卒業後、東宝砧撮影所に入社。

 

 

「ウルトラマン」「ゴジラシリーズ」などを手がけた

日本の特殊撮影技術の神様、円谷英二氏に師事する。

 

 

東宝の3代目の特技監督に就任する。

 

 

「爆破の中野」と呼ばれるほど、大量の火薬を使用した映像は必見である。

 

特技監督として数々の撮影手法をあみだし日本の映画界に多大な影響を与え

 

多くの人々を魅了し続ける未だ現役の映画監督。

 

 

著書 「特技監督 中野昭慶」 発売中!

8人目のゲストは月詠真夜さん

Profile

月詠真夜(つくよみ しんや)

1216日生まれ

 

東京在住デザイナー兼イラストレーター

 

 

某有名私立大学理系を卒業した

何故か全く違業種に

 

デザイン業を営みつつも電子回路設計、トレーナーなど面白いと思えば

何でもやってしま気質が災いしてかスペシャリストといよりもゼネラリスト気味で

裏方で何かしていることが多い

 

ゲームと映画アニメ漫画音楽をこよなく愛する

炭酸飲料とお酒がないと生きていけない

 

漫画やアニメを科学的に考証することが生きがい一つ

 

 

 

漫画ベスト3(最近):「ドリフターズ」(人生捨てがまり)血界戦線」(技名を叫んでから殴る)

            「巨悪学園」(つまり死)

アニメベスト3:「銀河英雄伝説」(永遠名作主に声優陣が) 

         「コクピット」(これで軍事好きに)

         「鬼灯冷徹」(最近一押し)

ゲームベスト3:「ストリートファイターⅢ 3rd」(墓まで持って行く)

         「アンチャーテッドシリーズ」(神様サンキュー)

         「フロムソフトェアゲーム」(脳がコジマ粒子に汚染されてる)

 

 

 

 

お仕事の依頼は月詠さんのホームページから

 

 

http://www.tragicmoon.com/

 

 

 

 

9人目のゲストはシェルパ斉藤さん

 

Profile

 

 

シェルパ斉藤 (しぇるぱさいとう)

 

 

1961325日生まれ

 

長野県出身

 

バックパッカー、紀行作家、

 

いろんな手段で地球を旅する自由型の旅人。

 

 

現在は山梨県の八ヶ岳山麓で田舎暮らしを楽しみつつ、

国内外の旅に明け暮れる。

 

 

カフェTeam Sherpaのオーナー。

 

 

素敵な自作のログハウスに在住。

 

 

野営道具を背負って地球を歩いて旅するバックパッカーで

耕うん機の旅や犬と一緒にヒッチハイクの旅など

他に人がやらない旅を行っている。

 

 

 

小学館のアウトドア雑誌「ビーパル」で好評連載中の人気作家。

 

 

 

著書

『シェルパ斉藤の行きあたりばっ旅』

『耕うん機オンザロード』

『犬連れバックパッカー:シェルパ斉藤と愛犬ニホの旅物語』など著書多数

 

 

ホームページ 

 

http://www.eps4.comlink.ne.jp/~sherpa/

 

10人目のゲストはバルーンパフォーマー、風船太郎さん

 

Profile

 

風船太郎(ふうせん たろう)

 

 

1968713日生まれ。

 

岐阜県出身。

 

大道芸人 バルーンパフォーマー。

 

静岡大学工学部機械工学科に進学。

在学中にワーキング・ホリデーでカナダへ。

 

旅行中にジャグリンと出会う。

 

 

大学を卒業後、大手建設機器メーカーに就職するも、

社長になる夢を持ち転職。

 

 

2005年に有限会社風船太郎を設立。

 

バルーンパフォーマーとして愛車の風船太郎号で

 全国の保育園や幼稚園をまわる。

 

 

風船を使い、一瞬で子供たちの心をつかみ笑顔にするパフォーマンスは

泣いてる子供を一瞬で泣き止ませるタケモトピアノCM以上。

 

 

数ヶ月先まで予約で埋まっている

日本一多忙なバルーンパフォーマー。

 

 

バルーンショーの予約は

 風船太郎さんのホームページから

 

http://www.2000taro.com/

 

11人目のゲストは声優・ナレーターの岡崎弥生さん

 

Profile

 

岡崎 弥生(おかざき やよい)

 

3月28日生まれ

 

和歌山県出身

 

 

声優・ナレーター・MCとして、イベント、

コンサート、テレビ・CMで活躍中。

 

 

大学を卒業し、中学・高校英語教員免許状を取得し中学の講師を務める。

子供たちから多くの愛情を頂き、教えるためにはもっと英語力が必要と感じ

通訳学校へ入学し英語を学び直す。

 

 

そして週一回、方言を直すためアナウンス学校へ通う。

 

 

しかし生活苦が引金になるが、しゃべるのが苦手なのにも関わらず、

アナウンスの世界へ入りお仕事を受ける。

 

 

そして、紆余曲折あったものの様々な方面で声優・ナレーターとして活躍中!!

 

どんくさいと本人は言っているが

高校のときソフトテニスで県2位に入賞するほど

スポーツは万能。ゴルフも相当の上前?!(プロを目指さないかと誘われるほど)

 

 

才能はないがそれを知っているので

何事も専念し努力することが心情。

 

 

学生時代専念して学んだ英語は、通訳者を目指したことも・・・。

 

ソフトで響く声で子供から大人までの役をこなす。

 

好きなアニメのキャラクターは峰 不二子。

 

そして、岡崎さんにはある秘密が…

12人目のゲストはプロレスラーの藤原喜明組長。

 

Profile

 

 

  藤原喜明 (ふじわら よしあき)

 

1949年 4月27日生まれ

 

岩手県出身。

 

 

プロレスラー。

 

 

学校法人日本医科学総合学院理事長。

 

 

 

俳優、声優、タレント、エッセイストとしても活躍中。

 

 

陶芸、盆栽、イラスト等の特技も多彩。

 

 

 サブミッションレスリングに傾倒し、

その実力者ぶりから「関節技の鬼」としても知られる。

 

 

藤原組長の門下生はプロレス界に多数存在。

 

 

2007年、胃がんが見つかる。

手術に望むも、手術前の麻酔には打ち勝てず、一本負けをきっする。

 

 

しかし、ガンと闘う手術においては

無敵の肉体を誇る藤原組長が勝利。

  

 

人気テレビゲーム「龍が如く」シリーズでは伝説の情報屋

「サイの花屋」役としてレギュラー出演中。

 

 

 

著書     

 

復刻 幻の藤原ノート「ゴッチ教室」の神髄(200912 講談社)

 

覚悟ー人生60年、覚悟が生死をわけた!ー(20103 ビジネス社) 

                          など著書多数

 

13人目のゲストはお笑い芸人のホーキング青山さん。

 

Profile

 

ホーキング青山 (ほーきんぐあおやま)

 

 

 

1973127日生まれ

 

 

お笑い芸人、作家、俳優。

 

 

『訪問介護事業所ENJOY』オーナー。

 

先天性多発性関節拘縮症のため、

生まれたときから両手両足が使えない。

 

 

高校生の時から電動車いすで南野 陽子さんや

プロレスラー・天龍 源一郎選手の追っかけになる。

 

 

また立川 談志さんや高田 文夫さんのお笑いライブに通いつめるほどのお笑い好き。

 

 

お笑い好きが興じて19946月に大川興業主催の

若手芸人コンテスト『すっとこどっこい』で、

 

 

"史上初の身体障害者のお笑い芸人" 「ホーキング青山」としてデビュー。

  

20022月にビートたけしさんが審査委員長を務める東京スポーツ新聞社の

 『第2回ビートたけしのエンターテインメント賞』で『日本芸能大賞』を受賞。

以降、デビュー前からの憧れだったビートたけしさんに懇意にしていただく。

 

 

 

同年秋、北野武監督作品『Dolls』で映画初出演。

 

 

従来の漫談に加え、落語や講談、一人コントにも挑戦中。

 

 

20094月に『訪問介護事業所ENJOY』を設立。

障害者の目線による理想の介護を目指し奮闘中。

 

 

 

著書   『差別をしよう!(エッセイ集) 

 

         『日本の差法』(ビートたけしとの対談集)

 

         『笑え!五体不満足』

 

         『言語道断!―ホーキング青山自伝』など

 

 

 

 

ホーキング青山さんホームページ http://www.hawkingaoyama.com/

 

14人目のゲストは5万回斬られた男、俳優の福本清三さん。

profile

 

福本 清三(ふくもと せいぞう)

 

 

 

1943年2月3日生まれ

 

 

兵庫県出身。

 

 

俳優。

 

 

15歳で東映京都撮影所入社。

 

撮影所所属の大部屋俳優となる。

 

 

斬られ役として映像にはほんの一瞬しか映らないが

個性のある顔立ちと、斬られる時の印象的な演技が注目を集める。

 

 

ファンの一人が「探偵!ナイトスクープ」に依頼したことで

斬られ役の先生として「徹子の部屋」出演。

 

 

定年間近の60歳のとき、ハリウッド映画「ラストサムライ」に出演。

 

 

 

70歳で初主演した映画「太秦ライムライト」は

第18回ファンタジア国際映画祭で日本人初となる最優秀主演男優賞を受賞。

 

 

斬られ役人生50年以上。

 

 

通称 5万回斬られた男。

 

 

 

70歳を超えられて演技力に魅力が増し、

映画、ドラマ、CMにと多方面にて活躍中。

 

 

東映剣会所属。

 

 

 

出演

 

映画

仁義なき戦い  

蒲田行進曲  (1982年) - 大部屋時代劇役者

ラストサムライ (2003年) - 寡黙なサムライ

太秦ライムライト (2014年) - 主演・香美山清一

                          など出演作多数 

 

著書

どこかで誰かが見ていてくれる ―日本一の斬られ役・福本清三 創美社

 

おちおち死んでられまへん ―斬られ役ハリウッドへ行く 創美社

 

 

「東映剣会公式ページ」

 

http://www.toei-kyoto.com/ 

 

 

15人目のゲストは映画・ドキュメンタリーのカメラマン、映画監督の山崎 裕さん。 

profile

 

山崎 裕(やまざき ゆたか) 

 

 

1940年 生まれ。 

 

 

 

東京都出身。

 

 

 

 

日本大学芸術学部映画学科卒。

 

 

 

カメラマン、ディレクター、プロデューサー

 

映画監督、撮影監督。

 

 

 

株式会社ドキュメンタリージャパン代表取締役。

 

 

株式会社いちまるよん代表取締役。

 

  

 

 

高校の時、脚本が書けないと映画監督になれないことを知り、

 

 

日本大学芸術学部映画学科に進学することを決める。

   

 

1960年、安保闘争のとき、

記録映画『19606 月安保への怒り』の撮影を担当する。

 

 

 

1964年、「日本の華 肉筆浮世総」で

 

フイルムカメラマンとしてデビュー。

 

 

1988年、是枝裕和監督の「ワンダフルライフ」で

劇場用映画の撮影を担当する。

 

 

 

 

以降、ドキュメンタリー映画から劇場映画の撮影監督を努める。

 

 

 

 

70歳で劇場映画「Torso トルソ」を自らが監督、撮影を行う。

 

 

 

 

2010年 から「座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル」の

プログラムディレクターも務める。

 

 

 

 

 

16人目のゲストは気功太極拳普及協会 理事長、師範の山田充宏さん。 

profile

 

 

山田 充宏(やまだ みつひろ)

 

 

愛知県出身。

 8月15日生まれ。

 

中京大付属中京高校卒業。

 

 

NPO法人気功太極拳普及協会 理事 

太極拳練功会 主宰。

 

20歳のときに気功の達人に出会い、外弟子になり道場に通う。

 

師範の内弟子を2年間努める。

 

山にこもるなどして気功を修練し、わずか4年で習得。

 

気功太極拳を広めたいと

いう思いから山田太極拳の教室を開く。

 

中国武術段位6段

  

また、気を用いた治療を行い、ガン・うつ病などの疾患者を救う活動も行っている。

 

その方法や気を10倍高める方法などを全国で  セミナー・講演をしながら

気功太極拳の普及活動を行っている。

 

 

 

18人目のゲストはまさだ療術院のエネルギー療術士、正田篤司さん。 

Profile

 

正田 篤司 (まさだ あつし)

 

 

1969年3月6日生まれ。

 

                大阪府出身。

 

 

 

 

まさだ療術院・エネルギー療術士。

 

ABSベーシック・コース認定講師。

 

 

大阪府立大学総合科学部 数理科学卒業後、

 

日本アイビーエム入社。

 

 

銀行業務開発SEとして入社し

 

上級ITスペシャリストとして活躍。

 

 

ソフトウェア事業部 部長職になるが

2013年12月退社し

新事業を始める。

 

 

 

誰でも無限の可能性を秘めているので

そのチカラに気づいてもらうための

お手伝いをするため

日本国中のクライアントのもとへ足を運んでいる。

 

 

 

【まさだ療術院】

https://sites.google.com/a/amasada.com/energy2/home

 

【アクティブ・ブレイン・セミナー】

http://www.oda-abs.com/teachers/detail/087/

20人目のゲストはサラリーマン『転覆隊』隊長、環境マンガ家の本田 亮さん。 

profile

 

 

本田 亮(ほんだ りょう)

 

 

1953年3月30日生まれ。

 

 東京都出身。

 

日大芸術学部写真学科卒業。

 

 

 

CMプランナー。

 

 

元電通エクゼクティブ・クリエーティブ・ディレクター。

 

 

 

サラリーマン「転覆隊」隊長。

 

 

 

環境マンガ家。

 

 

 

写真家。

 

 

 

作家。

 

 

 

大学を受験する時に進学する事に疑問を抱き、

 

高校3年の途中で受験勉強をやめ読書に没頭する。

 

 

 

 

そのとき、1冊の本に出会い、人生について考得させられ、

受験の直前で進路を日本大学芸術学部写真学科に決めるが試験で落ちる。

 

 

 

 

写真家になる夢をかなえるため浪人生になる。

 

 

日本大学芸術学部卒業後、電通に入社。

 

 

 

その後はCMプランナーとして活躍。

 

 

 

 

「ピカピカの1年生」を始め、

数々のテレビCMを手がける。

 

 

 

 

昔から自然が好きだったこともあり、

仲間3人とカヌーで川下りを始めた事がきっかけとなり、

 

「転覆隊」を結成。

 

 

日本一ヘタなカヌーチームの隊長に就任。

 

 

 また、環境問題の事を考え始め自分にできる事は何かを考え、

環境マンガを描く事を決意。

 

 

 

1991年には環境マンガ「エコノザウルスが行く」

 

が出版される。

 

 

 

 

2011年、電通を早期退職。

 

 

 

現在も転覆隊の隊長としてアウトドア雑誌「ビーパル」での連載をつづけながら、

環境マンガ家として全国で「エコノザウルス」展を開催中。

 

 

 

 

書籍

 

『僕が電通を辞める日に絶対伝えたかった79の仕事の話/大和書房』

 

『ママチャリお遍路1200km/小学館』 

 

 

『あんたも私もエコノザウルス』(小学館)など

 

 

 

本田亮さんホームページ

 

http://ryohonda.jp/

 

 

 

サラリーマン転覆隊

 

https://www.facebook.com/tenpukutai1988

 

 

22人目のゲストは映画監督の原 一男さん。

profile

 

原 一男(はら かずお) 

 

 

1945年6月8日生まれ。

 

 

 

山口県出身。

 

 

 

東京綜合写真専門学校中退。

 

 

 

映画監督。大阪芸術大学映像学科教授。

  

 

 

高校卒業後上京し、新聞配達を続けながら

 

東京綜合写真専門学校に通うが、

学業との両立ができずに専門学校を中退。

 

 

1971年 田原総一郎さんの作品『日本の花嫁』にリポーター役で出演。

 

 

 

1972年 小林佐智子さん(現夫人)と共に疾走プロダクションを設立。

      同年ドキュメンタリー映画『さようならCP』で監督デビューする。

 

 

 

1974年 『極私的エロス・恋歌1974』発表。

 

 

 

1987年 『ゆきゆきて、神軍』を発表。

      日本映画監督協会新人賞、ベルリン映画祭カリガリ賞、

      パリ国際ドキュメンタリー映画祭グランプリ受賞。

 

 

1994年 『全身小説家』キネマ旬報ベストテン日本映画第1位。

 

  

 

 

監督作品  

 

ゆきゆきて、神軍 (1987)

 

 

全身小説家 (1994)

 

 

ニッポン国泉南アスベスト村(2016年)

 

 

原 一男監督のホームページ

 

http://www.docudocu.jp/

 

 

23人目のゲストは演劇集団キャラメルボックス 製作総指揮 加藤昌史さん。

profile

 

加藤昌史(かとう まさふみ)

 

 

1961年10月25日生まれ。

 

 

 

東京都出身。

 

 

 

早稲田大学教育学部

教育学部教育学科教育学専修。

 

 

 

演劇集団キャラメルボックス 製作総指揮・音楽監督。

 

 

 

株式会社ネビュラプロジェクト 代表取締役社長。

 

 

 

株式会社ネヴァーランド・アーツ 代表取締役社長。

 

 

 

 

 

家庭の事情で高校3年の時に長崎の高校に転入。

 

 

 

転入当時、東京から来た転校生ということと

 

髪の毛が肩まであったこともあり、

 

「きゃぶっとる」(カッコつけている)と言われ

 

同級生からは引かれていた。

 

 

 

しかし、転入早々行われたテストで化学で0点をとったことが

 

きっかとなり一躍校内の人気者に!

 

 

高校3年の夏まで放送部で活動を続ける。

 

 

 

早稲田大学に進学することを心に決めていた。

 

 

 

しかし当時の成績は全国模試で10何万人中

 

後から数えた方が早いほどの順位。

 

 

偏差値はなんと32。

 

 

 

1日16時間時間以上、勉強に時間を費やし

 

 

 

1年後、早稲田大学教育学部に見事!?合格。

 

  

 

大学2年のとき、成井豊さんの「キャラメルばらーど」

 

を観て感動し号泣。

 

 

 

 

成井豊さんの舞台を100万人に観てもらうと心に決めた

ときの観客数は1000人(充分プロで活動できる)にも満たなかった。

 

 

 

 

社会人劇団として活動を開始し

年2回の公演を行っていた。

 

 

 

公演ごとに驚異的な観客動員数を記録し、

 

1988年プロとして「演劇集団キャラメルボックス」の活動を開始する。

 

「お客さんのことを『キャクと呼ばない』」

 

 

「劇場でパンフレットを落としたお客さんがいたら

 新しいパンフレットに直ぐに取り替える」

 

 

など当たり前のことを演劇界に広める。

 

 

演劇界で初となる上演時間が半分の「ハーフタイムシアター」や

 

公演当日の10時から開演1時間前まで

 

特定のチケット売り場で購入すると

 

通常料金の半分の料金で観劇できる

 

「ハーフプライスチケット」を導入。

 

 

これまで4000ステージ以上、開演前に舞台に立ち、

お客さんに観劇マナーを伝える前説を行い続けている。

 

 

 

 

著書

 

『いいこと思いついたっ!』出版社: 日本短波放送

 

『拍手という花束のために』出版社: ロゼッタストーン

 

 

 

『人の前に出る仕事の人へ。』出版社: ぴあ

 

演劇集団キャラメルボックスHP

 

http://www.caramelbox.com/

 

 

 

加藤昌史さん twitter

 

@KatohMasafumi

 

加藤昌史さんブログ 「加藤の今日」

 

 

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24人目のゲストはホセ・ムヒカ 前ウルグアイ大統領に単独インタビューを行った         ライター 平井有太さん。

profile

 

平井有太(ひらい ゆうた

 

 

1975年 東京生まれ。

 

 

School of Visual Arts卒業。

 

 

 

ライター。

 

 

市民測定所

「ふくしま30年プロジェクト」理事。

 

 

 

エネルギーのポータルサイト「ENECT」編集長。

 

 

 

 

父親から「人に伝わる文章を書け」と言われ

 

子供の頃より文章を書く。

 

 

 

 

中学のときにアメリカでホームステイを経験。

 

 

 

 

ヒップホップとアートに影響を受け、

ニューヨークのSchool of Visual Artsに入学。

 

 

 

卒業後、2001年に帰国。

 

 

 

「有太マン」名義でフリーライターとして活動。

 

 

 


2012年には福島県に移住。

 

 

農協×生協×福島大学による

 

 

「土壌スクリーニング・プロジェクト」事務局を努め、

 

 

福島市内の全田んぼと果樹園で、

約10万ポイントの放射線量を測る。 

    

 

 

 

2015年、福島市議選に出馬し落選。

 

 

 

 

ウルグアイに渡航し、アポなしで私邸を訪れたにも関わらず、

 

ホセ・ムヒカ 前ウルグアイ大統領のインタビューに成功する。

 

 

著書

 

『福島 未来を切り開く』(SEEDS出版、2015年)

 

『ビオクラシー』(SEEDS出版、2016年)

 

『虚人と巨人』(辰巳出版、2016年)。

 

 

 

25人目のゲストは作家、本橋信宏さん。

 

profile

 

本橋 信宏(もとはし のぶひろ 

 

 

 

1956年 4月4日生まれ。

 

 

埼玉県所沢市出身。

 

 

早稲田大学政治経済学部卒業。

 

 

作家。

 

 

 

小学校1年生の時、「死んだ犬」というタイトルで作文を書いたら

 

先生から誉められ文章を書くオモシロさを知る。

 

 

 

読書家で夏目漱石や江戸川乱歩など文学作品に触れ、

 

小学校6年生の頃には小説を書き始める。

  

 

受験のとき、早稲田大学に入って中退し作家になろうと決める。

 

 

 

大学では企画系サークルに入り、

 

甲斐バンド・コンサートの企画やテレビ出演などを繰り返し、

 

まだ無名時代のテリー伊藤さんと知り合う。

 

 

卒業後は、テリー伊藤さんがいた制作会社に入社するものの2ヶ月で退社。

 

 

 

イベント制作会社を経て、24歳で念願のフリーランスになる。

 

 

 

1981年4月、ミリオン出版社から「ザ・キャンパス」で作家デビュー。

 

 

 

1983年、新英出版の『スクランブルPOHTO』編集長になるが

 

半年で廃刊の憂き目にあう。

 

 

 

1984年、物書き業をやりながらクリスタル映像で広報や作品制作に携わる。

 

 

 

1988年、ダイヤモンド映像の広報、プロデューサーに。

 

 

1991年、文筆業一本にもどる。収入は半分以下に。

 

 

完全復帰後、著作を相次ぎ発表。

 

私小説的手法で壮大な庶民史を描くことをライフワークとしている。

 

 

著書

 

 

 

『「全学連」研究 :革命闘争史と今後の挑戦』青年書館 1985

 

『裏本時代』飛鳥新社 1996・現在幻冬舎アウトロー文庫

 

『アダルトビデオ 村西とおるとその時代』飛鳥新社 1998 

 ・現在『AV時代』幻冬舎アウトロー文庫

 

『悪党ほど我が子をかわいがる』亜紀書房 2005

  

『全裸監督』太田出版 2016 など